2007年04月09日
石獅子
もう何体見たのだろうか・・・(ちゃんと整理しなきゃね)。
今回載せた4体は全部違う石獅子です!
1体1体、愛嬌があります。かわい~。
右下のやつは 夜見たらちょっと怖いかも・・・。
南風原の石獅子↓ こちらもまた変わったかたち
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2007年02月16日
海に向かって
最近の休みはほとんど南部辺りで石獅子を探してました。
あんまり興味はなかったのに愛らしい顔にグッときちゃいました。
興味わきつつあります。ほんと、可愛いです。愛嬌たっぷり。
1600年代から現代まで、ず~っと歴史を見続けている彼ら。
火炎放射器でか赤っぽく染まった物もありました。
石獅子の歴史については知りません。これから少しずつ調べてみようと思います。
今回見た石獅子は10体ほど。体長と向いてる方角は調べました。
そこから見えてくるものは・・・
2007年01月23日
何か始める前に・・いつも
さて後一つは朝早起きしてやってみようかなと思う。
それにしても、いつも集中するまでに時間がかかります。
どうしても別のことに気がいってしまう。
特に「そんなに難しくない・・早くやれば早く終わるようなやつ」にかぎって
ゆっくりスタートしてしまう。集中してしまえば、ざ~っとやっちゃうのですが。。
ちなみにレポートの内容は土帝君とか・・・真玉橋七色ムーティーとか。
いつか・・・ブログでも紹介しよっかな。では、おやすみなさい~。
2006年12月24日
2006年11月20日
2006年10月09日
2006年10月09日
喧騒を逃れて
今日は、首里城に行く日!!!と決めていました。
目的は、3日間限定で「書院・鎖之間」復元工事の公開があるから。
とってもとっても楽しみにしていました。
がしかし、勘違い・・・・・
。
今日までと思っていたのに、昨日までだったようです。悲しい~。
こんな時は、「続よんな~沖縄の百紫苑さんブログ」を見てしまう。
やはり!行ってました~。うらやましい~。是非感想をお聞かせください♪
気を取り直して、、、、、、
もう一つの是非行ってみたかったところ、那覇市久米にある『福州園』に行きました♪
行ってビックリ・・・無料なんですね。そして、駐車場も無料。
人も少ない(朝九時半だからかな?)。個人的にはゆったりしてとても良い空間。
お金払っても入りますねココ。タダってうれしいけどね
まだ行かれた事ない方は、是非行ってみてください♪いいですよ~。
パンフレットが切れていたようで内容なしの画像のみで↓ご覧あれ。









続おカメさんたち
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目的は、3日間限定で「書院・鎖之間」復元工事の公開があるから。
とってもとっても楽しみにしていました。
がしかし、勘違い・・・・・
。今日までと思っていたのに、昨日までだったようです。悲しい~。
こんな時は、「続よんな~沖縄の百紫苑さんブログ」を見てしまう。
やはり!行ってました~。うらやましい~。是非感想をお聞かせください♪
気を取り直して、、、、、、
もう一つの是非行ってみたかったところ、那覇市久米にある『福州園』に行きました♪
行ってビックリ・・・無料なんですね。そして、駐車場も無料。
人も少ない(朝九時半だからかな?)。個人的にはゆったりしてとても良い空間。
お金払っても入りますねココ。タダってうれしいけどね

まだ行かれた事ない方は、是非行ってみてください♪いいですよ~。
パンフレットが切れていたようで内容なしの画像のみで↓ご覧あれ。
続おカメさんたち
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2006年10月09日
沖縄最大の門中墓
敷地は5400平方メートル。
1684年(天和4)に基礎が築かれ、1935年(昭和10)の大改築により現在の姿となった。
「門中」と「腹」というのは父系の血縁集団を表す。門中組織は本家に対する畏敬の念が厚く、
先祖を祭り、一族の中心としての機能も果たしている。
先生は、20年前と昨年の2回トーシー墓を見せてもらったらしい。
写真奥に見えるのがトーシー墓。トーシー墓手前の左右にシルヒラシと言われる墓が二つずつある。
80歳以上で亡くなられた方と、その歳になっていなくても功績を称えた方はトーシー墓に直接入ることができる。80歳になる前に亡くなられた方はシルヒラシに入り、その後トーシー墓に移されるそう。
こちらのお墓には、約5500人以上の方が納骨されている。その人数を聞くだけでお墓の大きさがわかりますよね。
うちのお墓は約8畳の家族墓。門中という組織の大きさを感じます。
2006年10月09日
ミーグスク
写真真ん中あたりに少しだけですが城壁が残ってました。
昔、対岸には屋良座森城があり1554年に築城。
それよりやや遅れて三重城が築かれたそう。ミーグスクとは新城の意があるらしく、そこからそう呼ばれるようになったそうです。
防御のために造られたグスクで、当時は陸から島と島を橋で繋げていた。三つの橋から出来た城だったので、三重城と言われたという説もあるとか。
この場所は、航海の無事を祈る拝所(ウガンジュ)でもある。この日も拝み(うがみ)をしている人たちが複数いらっしゃいました。
「宮古島にお墓があるから、あっち(海)にむかってウートートーしてるのよ~」とおっしゃってました。
2006年10月09日
字小禄めぐり
先ほど書いた記事と、そのほか、カニマン御嶽や殿(トゥン)、ビジュル、クシンカーガーなど、
2時間かけて字小禄めぐりをしました。
ゆっくり歩きながら楽しくまわることができましたが、もう一度同じ場所を歩けと言われて歩けるのか・・・という感じ。入り組んだ道なのです。。。
5月ウマチー(稲穂際)、6月ウマチー(稲大際)行事をしている地域。
一度見てみたい。
写真で見たのですが、ウマチーの時に米で作った「ミキ」という飲み物を頂けるとか。
まぁよそ者は飲めないんでしょうが、一杯飲んでみたいなぁ。
それにしても、こんな風景が小禄ジャスコ近くにあったとは!驚きです♪
2006年10月08日
印部土手(しるびどて)〔字小禄〕
一緒に行った方が、これを見た瞬間手を合わせました。
それを見た先生が「なんでも手を合わせればいいってものじゃないのよ~」と。???
私も初めて知りました。これが何かを!
こちらは、王府時代の図根点。印部土手と書いてシルビグァーとか、ドゥティグァーなどと呼ばれている。1722年薩摩は自藩同様の支配を行おうと検使の派遣を通告してきたが、首里王府はこれに対し4年~5年の延期を願いだしたため、薩摩は竿入れを行わなかった。その後、王府は印部土手を用いた独自の測量法で検地した。
写真では見えにくいのですが、中に平たい石が立っていて、そこには「ユ」と「~原」って書かれています。これは、土手の所在を現す原名(ハルナー)と、順序を示す記号がカタカナか平仮名、または、イロハニホヘト・・・が大きく彫られている。
土手の破損は土地の混乱を招くため、その保護には特に気を配り、地方(じかた)役人は年に2度、その点検が義務付けられていたそうです。
これは、「真石(ま~いさ~)」。
昔の遊び場にはよくあったそうで、力勝負に使われていたそうです。
俺はこんなに重い石が持てるんだ!ってとこを見せてたのでしょうね♪
それを見て女性たちも盛り上がってたんだろうな~
2006年10月08日
戦前から残る石畳(字小禄)
民俗学の先生と歴史道を歩きました。
神道(写真左)といわれる道。戦前から残っている石畳。
首里の石畳とは違って主に小さな石が使われています。
今でも近所の方々が近道として利用してます。
写真左側には神アシャギがあり、祭祀や葬式等が行われるときは、神道を通るのは
ノロ(神女)のみ。
この道を通って、カー(井戸)や御嶽に行くそうです。
神アシャギとは:村々において神を招請して祭祀を行う場所。
2006年09月18日
シルミチュー
『シルミチュー』
宇比嘉の南南東端の森の中に大きな洞穴がある。
地元では琉球開びゃくの祖神、アマミチュー、シルミチューが居住したところと伝えられている。
毎年年頭拝みには比嘉のノロ(祝女)が中心となって、海浜から小石を1個拾ってきて、洞穴内に
安置された壺に入れて拝んでいる。また、洞穴内には鍾乳石の隕石があり、子宝の授かる霊石と
して崇拝され、信仰圏の広い貴重な霊場である。
と、書かれていました。
シルミチューという言葉は初めて聞きました。
帰って調べてみたところ、シルミチューとはシネリキヨのこと。
アマミキヨと並ぶ祖神。
知らなかった・・・。まだ理解しきれてないので再度情報収集せねば。
2006年09月18日
グスク
ゆっくりできるから好き。
毎週三連休でもいいのにな♪
今日は朝から『勝連城跡』に行ってきました。
3年~4年ぶりでしたが、きれいな休憩所ができ、駐車場まで整備されてました。
昔は、グスク近くまで車で行けたのですが
今では、あの急坂を気合入れて歩かねばならない。
今帰仁城跡も同じような感じでした。
やはり、世界遺産にもなり観光地となれば
そうなるんでしょうね。
整備するからこそ維持するんだし、これも大事なことなんでしょうね。
今日はあいにくの天気でしたが、やはり眺めは抜群!
また晴れた日にでもいきたいな~。
アフリカマイマイ→
よく見るんでなんとも思わなかったけど沖縄、奄美、小笠原などの亜熱帯地域に発生するものらしく、本土のほうでは見られないものなんですね。
休憩所には、アフリカマイマイについて書かれてました。
絶対、触ってはいけません。触ってしまったら手を洗いましょう。
寄生虫らしく・・・これが原因で亡くなったりもするらしい・・・。
昔よくつかんでました
大丈夫かな。。勝連城:琉球王国の王権が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した有力按司、阿麻和利の
居城。阿麻和利は、1458年に国王の重臣で中城に居城した護佐丸を滅ぼし、さらに王権
の奪取をめざして国王の居城である首里城を攻めたが大敗して滅びた。
これにより首里城を中心とする中山の王権は安定した。
2006年09月17日
昭和初期?の沖縄
8月の中旬『那覇大綱挽講演会』を聴きに久茂地公民館へ。
沖縄の年中行事にはかかせない綱挽き。
エイサーもそうですが、綱挽きや、沖縄相撲は
豊作祈願のためなどに昔から行われている行事。
私の住んでたところでは、そのような習慣はなく、
綱挽き=那覇大綱挽きというイベントのイメージが大きかったが大事な行事なのだ・・ということを再認識した。
と同時に、これも中国から?と思ったが、韓国にも似た行事がある
ことから韓国からきたのではないかという話も聞けました。
雄綱と雌綱にわかれていることも日本全国見ても少ないらしい。
(どこかの地域は同じようにやってるらしいが、地域名を忘れてしまった)
今回、公演後に写真にもあるカップ麺を2つ頂きました!
こんなお土産があるとは!
でも、なんで???と思ったら、カップのフタには那覇大綱挽きの写真が!
講演会+お土産+もっとすごいものが!
続きを読む
沖縄の年中行事にはかかせない綱挽き。
エイサーもそうですが、綱挽きや、沖縄相撲は
豊作祈願のためなどに昔から行われている行事。
私の住んでたところでは、そのような習慣はなく、
綱挽き=那覇大綱挽きというイベントのイメージが大きかったが大事な行事なのだ・・ということを再認識した。
と同時に、これも中国から?と思ったが、韓国にも似た行事がある
ことから韓国からきたのではないかという話も聞けました。
雄綱と雌綱にわかれていることも日本全国見ても少ないらしい。
(どこかの地域は同じようにやってるらしいが、地域名を忘れてしまった)
今回、公演後に写真にもあるカップ麺を2つ頂きました!
こんなお土産があるとは!
でも、なんで???と思ったら、カップのフタには那覇大綱挽きの写真が!
講演会+お土産+もっとすごいものが!
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2006年08月06日
車窓から
戦跡をまわるのは、ほんと久しぶりでした。
学生時代は慰霊の日前になると平和学習なるものがあった。
社会人となって自ら参加するのは初めてだった。
避けていたつもりはないが、やはり避けていたのかなと・・・。
バスに揺られて外の景色を見てたら祖父を思い出した。
祖父は、戦争の話を聞こうとするといつも「泳ぎの練習をしてた」とだけ言う。
もう亡くなってしまっているので聞くことはできないが、実際の体験を真剣に
聞いたことがなかったかもしれない。
祖母は満州へ疎開。なぜか、ひい御婆ちゃんは北部へ避難。
祖母と叔母にもう一度、話を聞いてみようと思う。
ひい御婆ちゃんは私が生まれる前に亡くなっているが
母に「おばあちゃんは風呂敷かぶって敵の弾をよけて走ることができたんだ!」と
自慢げに言ってたらしい。笑えない話だ。
石川の収容所に入れられたらしいが、たまにそれ関係の写真集を見ると、ひい御婆ちゃんを
探してしまう。。。
うちな~かんぷ~をした可愛いばあちゃん(写真でしか見たことないけど)。
戦争とは、家族を引き裂くものだと思う。
祖父は終戦後何年かかけて祖母を探したようだ。
満州から引き上げて熊本にいるらしいという情報を受けて、探し回り市場でばったりあったそうだ。
私は奇跡?だと思っている。
ここで会っていなければ、母も生まれてなければ私もいないわけだから。。
自分のルーツなるものも考える時間になった。
それと偶然にも今回のガイドをしてくれたのが友達のお母様だった。
10年ぶりの再会。
素敵な声で的確に坦々と話される姿が素敵だった。
目と心で伝えるのよ~と。
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今回ブログには載せていないが「萬華之塔」にも行った。
ここも今の日本を語ってる気がした。。
あと、ひめゆり平和資料館へも何年かぶりに行ったが「平和への広場」という部屋が
できていました。
ひめゆり学徒隊の方々が、アウシュビッツなどをまわった記録を展示している。
これからを担う若い世代にどのようにして戦争を伝えていくか、次世代へのバトンタッチ
の部屋。まだ見てない方は行ってみてはいかがでしょうか。
2006年08月06日
アブチラガマ
糸数壕(アブチラガマ)全長270mの自然洞窟。
約600名の患者が収容されていたとのこと。
一般住民も同じ壕に入っていたわけだが、
外から一番近い場所に集められ、
軍隊は一番奥の安全な場所だったらしい・・・。
結局はそうなのだ。
誰も守ってくれない。
ガイドの方はおっしゃった。
絶対戦争を起こしてはならない。
子供が生まれて尚強く思ったと。。。
守らなければならないと。
←ガマの中から見た外。
こんな真っ暗な場所で、どんな気持ちで過ごしていたのだろう。
2006年08月06日
南風原陸軍病院跡
ここに来るのは初めて。
沖縄戦、移民、民俗、芸能のコーナーがあり、陸軍病院壕から出土した遺留品も展示されています。
陸軍病院壕を再現したものもありました。
入場料:無料
開館時間:10:00 ~ 18:00
定休日 毎週水曜日、祝祭日の翌日、年末年始(12月28日~1月3日)
写真撮影もOKらしい。駄目だと思って車に置いたままに・・・。
いろいろ勉強になる資料や昔のパスポートなども見れますよ。
あと、人間が生まれてから亡くなるまでの沖縄の行事が絵で表現されててわかりやすかった。
その後、陸軍病院跡へ
南風原陸軍病院跡の碑前から撮った写真。
写真中央に住宅地が見えるが、ひめゆり学徒隊の方々はあの辺まで「飯上げ」のため
行っていたそうだ。
ご飯の準備、負傷者の手当て、これだけではなく、ここの壕は自然洞窟ではなかったため、ひめゆり学徒隊の方々も壕堀の手伝いをしていたそうだ。
南部へ移動する前の3月、三角兵舎前にてささやかながら卒業式を行ったそうです。
戦時中でありながら卒業式を決行した先生方。
とても短い時間だったらしいが生徒にとっては大切な時間だっただろう。。。
戦後植えられた木。
戦争でほとんどの木は燃えてしまった。
この道を、裸足?草履などで走り回っていたのだろう。。
ここから少し離れたところには今でも爆撃でできた穴が残っているという(立ち入り禁止)。
2006年07月30日
南部戦跡
南部戦跡めぐり。
*コース*
・南風原文化センター
・南風原陸軍病院跡
・糸数アブチラガマ
・魂魄の塔
・第一外科壕
・ひめゆり之塔
・ひめゆり平和記念資料館
・萬華(まんげ)之塔
←ひめゆり之塔から見上げた空
今日は、ひめゆり学徒隊の方々が歩いた道を辿った。
言葉にならない・・・・・。
何度と話を聞いてきているはずなのに鳥肌が立つ。
もし同じようなことが今起きたらどうなるんだろう。
うっそうと茂る森の中で思った。怖い。
60年前、この場所でおきていたこと。
あらためて考えさせられる日となった。
いろいろ書くことがあるけれど、今日はやめておきます。
おやすみなさい。
・南風原文化センター
・南風原陸軍病院跡
・糸数アブチラガマ
・魂魄の塔
・第一外科壕
・ひめゆり之塔
・ひめゆり平和記念資料館
・萬華(まんげ)之塔
←ひめゆり之塔から見上げた空
今日は、ひめゆり学徒隊の方々が歩いた道を辿った。
言葉にならない・・・・・。
何度と話を聞いてきているはずなのに鳥肌が立つ。
もし同じようなことが今起きたらどうなるんだろう。
うっそうと茂る森の中で思った。怖い。
60年前、この場所でおきていたこと。
あらためて考えさせられる日となった。
いろいろ書くことがあるけれど、今日はやめておきます。
おやすみなさい。

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